人文・自然研究

『人文・自然研究』電子化にあたって
——精興社インタビュー

━━参加者━━

  • 小野克之(株式会社精興社 取締役副社長)
  • 林利幸(株式会社精興社 社員)
  • 浦野歩(全学共通教育センター技術補佐員)
  • 富重聡子(全学共通教育センター技術補佐員)
  • 武村知子(全学共通教育センター長)/聞き手・構成

13年の時を隔てて

武村前回、言語社会研究科の紀要『言語社会』でインタビューをとらせていただいてから、もうずいぶん経ちますねえ。

小野13年です。

武村そんなに! 13年とは、びっくりですね。『言語社会』も、またこちらの全教センターの『人文・自然研究』も、お二方ともお変わりなくずっと面倒を見てくださって。13年前も飛び込みインタビューみたいな感じでしたけど、今回は『人文・自然研究』のほうで改めてお世話になることができて、本当に嬉しく存じます。

小野ありがとうございます。

武村昨日『言語社会』のほうをもう一度読み返していましたらね、あのときも精興社さんには本当にご迷惑おかけしたんだったなあと。

小野ご迷惑ってほどのものではなかったですけども、ちょうど私どもの組版の機械が、いわゆる専用の機械から今のInDesignという汎用のものに切り替えたところだったので、正直こちらも手探りをしながら作業を進めているような状況のところに『言語社会』のお話をいただいたので、インタビューは2号でしたけど、第1号の時が一番こちらも苦労した次第で。

武村そうでしたか。あの年にInDesignに移行。

小野正確に言うともう少し前なのですが、まだうちもそう慣れていたわけではなかったので。今ですとかなりプログラムで処理できたりするところも、当時はまだ不慣れで全部手で作業しなきゃいけないような状態で、やっぱり時間もかかりますし、出校でも若干ご迷惑をかけたところもありました。

武村いえいえ、とんでもありません。こちらも素人の手探りですから、もう後から後から注文つけるようなことになって。13年前から見て同じInDesignでも作業の段取りがずいぶん変わりましたか?

小野この間に、例えば社内で独自のプログラム書いてかませたりして、オペレーターの手があまりかからず作業できるような仕組みを作りました。ですので、初校出校の時間は導入当時から比べるとぐっと短くなってる。ところが朱字の修正の場合はこれ全部手作業になってしまう、そこは変えられないんです。そこだけはね。

武村そうするとますます、校正刷りでの修正は最低限にして入稿の段階までに完全原稿にするという原則を厳しくしないといけないですね。

小野できるだけ査読をしていただいて、ご入稿前に調整をしていただくのが、やっぱり私どもとしては一番ありがたい(笑)。

武村うーん(笑)、たぶん執筆者の側はそういう印刷の段取りを知らないので、昔のままに考えていると思うんですよね。私なんかでもつい「ゲラでも直せるよな」って思ってしまう。そこはやっぱり技術が変わっているからっていうことをもっと周知しないとダメですね。 

小野まあでも一般の方ですとなかなか細かいところまでは目が行き届きませんので、紙面の形にして初めて、あ、これちょっと少しおかしいなと気づくというのも当然あるはずなので、そこはもう直していただいて構いませんし、あとは先生方のほうでもだいぶパソコンに長けてる方も増えてきましたので、朱字も全部打たれてくるケースもあります。そうすると、そのテキストも使わせていただくようなこともあるので、少しずつは進歩してるのはしてると思うんですけど。

武村今回の注意事項に、朱入れのときPDFのコメント機能を使うな、というのがありましたね。

小野大量に差し替わった場合には、テキスト打っていただくとそのまま使えるのですが、こまごましたところは、Acrobatの注釈を使われると実は作業上非常に煩雑になるので、あれは今のところお断りしております。

武村うん、前そうおっしゃってたので、今回は校正刷りのときにPDFのコメントは使うな、ワンクリックでそのまま印刷できる形で戻してくださいというのをすごくうるさく言ってたんです。

小野本当に数カ所でしたらいいのですが、特に初校のときだとかなり入れ込んで朱字が来るじゃないですか。どの部分にどの朱字が、というのが正直あれだとわかりにくいんですよね。なので、どうしてもと言われてあれで戻されたときには、私たちのほうでプリントアウトして全部書き写すんです。

浦野自分も校正する立場を何度か経験したんですが、そのとき、Adobeの校正機能の使いづらさについてデザイナーさんから延々と聞かされたことがありまして。テキストボックスの機能や、直線や矢印などの描画機能を使って、とにかくぱっと見で修正箇所と修正内容がわかるように朱を入れてくれって言われてました。

小野非常に細かい部分なんですが、例えば挿入があるときに、マークが入ってる文字の前に入れるのか後ろに入れるのか判断しにくいときがあったり。そういう点で、やっぱりできるだけ紙に今までどおり書いてもらったほうがいい。もう一つは、今のところ各オペレーターが1画面しかないので、InDesignで開いている画面と、PDFでいただいたものを開く画面が別にないというのは作業がすごくしづらい。特にうちの場合は、朱字をひとつ修正したら、直しましたってチェック入れてるんです、ペンで。そうやって確実に作業を潰していくんですけど、それはやっぱり紙じゃないとできないっていうのがね。そんな具合に、電子の良い部分と悪い部分とが、かなり見えてきてるかなっていう感じのところですね、今。

武村朱入れの技法だって、長い印刷の歴史の中で練り上げられてきたシステムですもんね。ひとつの作業工程の中でデジタルな処理の部分と、そういう昔ながらのアナログでマニュアルな部分が混在しているところがすごく面白いですよね。

電子版『人文・自然研究』設計段階を振り返る

武村今号の『人文・自然研究』は電子化第1号で、創刊以来せっかく精興社さんにお願いしてきたものをいよいよ、まあそのう、清水の舞台から飛び降りる気持ちで電子化敢行するにあたって、PDFだけで納品というのを他ならぬ精興社さんにお引き受けいただけたことに対して、すごく、驚きをもって感謝申し上げているんです。で、だんだん作業が進んで、少しずつゲラが戻ってきます、それが紙で来ますよね、それを見ると、あ、やっぱり綺麗だなと思っちゃう。そのうち予算を工面して少部数でも刷っていただけたらいいなってつい思ってしまうんですよ。そしてね、きっと私がそう思うだろうなって、あのう、思っておられただろうなあと思うんです(笑)。してやったりと思っておられるのではと。

小野ふふふふ。

武村精興社さんの側では、こういうPDFだけのお仕事を引き受けてくださるにあたって、定めし色々思うところがおありだったでしょう?

小野そうですね。今電子書籍の世界ですと、ePubのリフロー型っていうのが主流になってきてまして、ユーザーが画面上で自分の見やすい文字サイズを選ぶと自動的に折り返してくれる仕組みができている。それだと私どもが一番得意としている組版の部分の要素が全く活かせないんです。書体も、見る人が自由に選べる形になりますので、うちの一番得意とする部分のメリットがまったくなくなってしまった。で、今回は、武村先生からお話を頂戴したのが、精興社の組版を活かして電子化して欲しいというご依頼だったので、でしたら私たちの得意の部分も活かせますし、これから当然電子ですから、半永久的に残るわけですから、それがうちの組版で、しかもうちの選択した書体であって、かつご相談しながらデザインを決めてということでしたので、でしたらと。もちろん本音から言えば、紙に刷っていただきたいというのは印刷会社ですから当然ありますけれども、私どもがずっと創業から培ってきた組版の技術を活かせるのであれば、それはもう是非ともやらせていただきたいという判断で、今回はお話を受けさせていただいた次第です。

武村ありがとうございます。電子と紙の大きな違いっていくつもあると思うんですけども、まず根本のところで組版のノウハウというのが全く異なってしまって、電子媒体におけるレイアウトは、組版というのとはもはや別の概念と言っていいと思うんですよね。なにしろ最終的に固定できないのが電子の本領なんですから。それを、電子化とか言いながらPDFを使うのであれば、PDFというのは固定性を強く持つものなんだから、それなら精興社さんにお願いできればと思ったので、引き受けてくださって本当に嬉しいです。が、その一方で、精興社さんは組版だけをやってこられたわけじゃなくて、それをさらに独自のインクで、選び抜いた紙に、どれだけ美しく刷るかというところにもお仕事の一方の核心はおありなわけでしょう。その部分が欠落する。PDFならフォントはユーザーはもういじらないけれども、プリントボタンを押すことで紙は適当な紙に刷られてしまうし、コンビニのかすれかけたインクで刷られてしまったりもするということに関しては、精興社さんとしてはどのように折り合いをつけられるんでしょう?

小野まあこれは会社というよりも私個人的な感触ですけども、そこらへんはもう時代で、しょうがないのかな。正直言うと私自身、この間にどちらかというと経営側の人間にもなってしまったので、経営面から考えますとやはり組版だけだと商売としては成り立たない。組版の部分ですごく人件費がかかるところを印刷でカバーして、最終的にトータルで利益を上げるというやり方を、基本的に印刷会社はどこもそうなんですけど、しておりますので。今回は紙の印刷がないですから、本来そういう部分では厳しいですけれども、そこは、やはりうちじゃないとできない部分をご採用いただいたので、その気持ちに答えなきゃいけないという部分もあります。それを最終的に、一般の方がどのプリンターで出そうが、これはもうしょうがない。

武村うーん。

小野ただ組版の形はどのプリンターで出しても崩れることはないはずなので、そこはうちのよさが残っていると。先程おっしゃったように、紙を吟味して、このクリーム色の紙にはこのインキが合って濃度はどのぐらいだと一番きれいに見えるっていうのを、当然、長年培ってきたわけなんですけど、残念ながらそこはね、もうしょうがないと思います。うちのお得先ではまだないですけど、デジタルを先に出して、市場動向を見てから紙の出版をするというケースが結構増えてきてる、そういう時代ですから、そこはある程度、目をつぶらないと。

浦野いま、いただいたPDFを最終的にのっけるホームページを僕たちのほうで製作してるんですけど、いただいた見本組で組版を確認しながら気になっていたのは、最終的にエンドユーザーが使うディスプレイ上でフォントを表示するとき、通常どうしても、印刷するときのDPIの半分以下になっちゃうのが基本だということなんです。いくら精興社さんの独自のフォントが綺麗でも、紙上で印刷されるものよりはるかに劣ったものになってしまうのかと思うと、自分としてはすごい残念なところがあって。

小野そうですねえー。

浦野そのあたりは、どこまで「目をつぶ」れるもんなんでしょう?

小野今、基本的にはPDFを出す際にはフォントを埋め込む形にしてますので、その時点では実はそれほど劣化してないはずです。ただ、画像化したもので表示すれば当然それは劣化しますので、本来であれば——厳密に言えば——特に私どもが作っている精興社書体はそれなりにこだわりがありますので、そこが劣化するのは実は許せないところではあります。

武村でしょうねえー。

小野ただ、現状、紙に印刷する場合でも、PDF渡しで版をこちらで出さなくて向こう側で出してもらって印刷するというケースもゼロではないですから、そうするとやっぱりある程度劣化します。しかもうちの濃度とは違う濃度で刷られたりすることもありますので、そこはもうしょうがない!と。もうそればっかり言ってたらキリがない。特に電子配信の場合には、一般の方のネット環境にも影響されますので、そこ気にしないのであればもう高解像度のまま公開しちゃうのが一番いいんですけど、それだと捲るのも時間かかるしダウンロードも時間がかかるとなると、そもそも読んでもらえなくなりますから、本末転倒になってしまう。なのでそこはもう心を鬼にしてじゃないですが、まあ、妥協していくしかないのかなって感じですよね。

武村先だって、11月ですかね、いらしてくださった後で浦野くんが言ってたんですが、紙とPDFと並べて見ちゃうとやっぱり紙は綺麗だなと思うけど、画面だけで見たとき、フォントとか、白の上の黒のあり方、組版全体も含めてとてもきれいなんだというそのこと自体は、むしろ一般の目に紙よりも画面のほうが目につきやすい気がすると。

浦野はい。

武村普通は、印刷された学術誌を手にとっても、どんな論文かなと思って読むだけですよね。組版が美しくて、読み心地が良ければ良いほど、読み心地のことは気にしない。そうして何も思わずに、いい論文だったとか言って終わるわけですけど、電子だとね、画面で見たときにすごく綺麗だなあということが、少なくとも現時点では、普段は組版とかレイアウトのこと何も考えない人の目にもつきやすいっていうことがあるのかもという話で。

小野そうですね。紙よりも画面の方がいわゆる地の部分が、かなり鮮やかな白に出ちゃいますから、そこは変な話はっきり出ちゃうかもしれませんね。まあー一般の人で、組版とかにこだわりがどれくらいあるかというと、正直、本当にないんですよね。

浦野そうですね(笑)。

武村いやー、これ(『言語社会』精興社インタビュー)何度読んでもほんとに面白いんですけど、覚えておられるかどうか、あのー、「大学の出版物だから粗悪なものでいいという考えはうちの社にはありません」っておっしゃったの(笑)。

小野ええ、ええ。

※『言語社会』精興社インタビュー(2008)(機関リポジトリ)→ (1)(2)(3)

武村ということは、一般の印刷屋さんでは、大学人は誰も組版なんて気にしてないから粗悪品を適当にあてがっとけばいいぞっていうのが常識になってるという意味よね、情けないことに。

小野僕の女房もね、私もこの業界に30年近くいますのでそれなりに見てきてるはずなんですが、当人はまったく業界と関係ない一般の人なんですよ。だからたまたま買った本が、ちょっと凝った書体を使っていると、なんかこの本読みにくいよねっていうレベルで。私がその本を見てちょっとこの組版はおかしい、ルビの付け方が変だとかって指摘しても、何が違うの?っていう(笑)。

武村こう申してはなんですが、普通は、それでいいと思うんですよ。つまり、あのー、彼(浦野)の研究テーマがちょうどそれで、ある技術が完璧に機能すればするほどその技術自体は人の目に見えなくなるっていう研究をしているんですが——こういう要約でいいのかどうかわかんないけど——組版というのもそういうものだろうと。

小野精興社っていう名前がついてる本に対して一切手を抜けないと言ったらいいんですかね。何か変なものが出たら恥ずかしいという思いがうちの社は特に強くありますよね。たまたまこの間、自費出版でお父様の遺稿集を作りたいという方がいらしたんですね。そのとき見本として、こういうのを作りたいのですってお持ちになったのが、お母様のご遺稿集だったんです。でもそれはうちの製作じゃなくて、組版がなってないというか、本当に文字並べてるだけだったんで、じゃあこれちょっとうちの方でやりますということで、もう徹底的に組版こだわって。例えば字下げの部分ですとか、ルビの付け方とかそういうとこ全部手を入れてこんな形でどうですかってお見せした瞬間にそのかたが「ここまでやるんですか」っておっしゃるので、このぐらいしないと、せっかくのお父様のご本で、しかもお金出していただくわけですからと。しっかりしたものを作りましょうという話をしたんですが、やっぱり驚いておられましたね。

武村ビフォーアフター。

小野(笑)なんということでしょう。

浦野気になるのは、その方がお父様のご遺稿集を出したいっていうときに何を求めていらっしゃったのかというところですよね。そのかたにとって組版体裁が問題でないとすれば。

小野そのときのお話はどちらかというと写真集に近い感じだったんです。お母様お父様の幼少の頃から最後亡くなるまでの写真がずっと並んで、それにコメントがいろいろ載っかっているような。写真がメインとはいえ、例えば写真の下についてるキャプションだけでも、私たちはこだわるじゃないですか、この位置はおかしいですよとか、改行の位置が変なのでここでとかって、勝手に改行入れちゃう。そこまでするんですかっておっしゃるんだけれども、結局仕上がった後に親戚の方とか縁ある方々にも配られて、お母様のときよりずっと出来がいいと言っていただけているようなので、やっぱり、こだわってよかったなと。

武村本を出したいと思ったときに自分が何を求めているのかというのは、普通はとても漠然としているんでしょうね。売って儲けたいとか名声を得たいとかでもなく、親御さんのご遺稿集のようにそれこそ純然と「本にしたい」というのが、「大切にしたい」というのとほぼ同義であるような場合には特にね。書物の価値というものを何が担っているかというとき、著者が書いた言葉が厳然とまずあると思われがちだけれども、だんだん勉強してくると7割くらいは組版とレイアウトが担っているに違いなくて、著作テクストというか、組版抜きのテクストが担っているものは、わずかとは言わないけれども、例えばオペラの台本みたいなものというか、それなしに本はできないけどそれだけでは全くどうにもならないものなんですよね。種だって土に播いて水をやらなければずっと種のままだもの。書物って何なのか、これから書物がどうなっていくのかということが結構大きな問題として認識されてきた現在、そういうことをもっとみんなちゃんと考えるべきだろうと強く思うんです、特に人文とかなんとか言ってる人間はですね。私はぜんぜん「紙派」の人間ではないし、今回の『人文自然』の電子化をむしろ推し進めたのがそもそも自分であって、電子化すべきものはどんどん電子化すべき時代だと思っていますけど、そして電子化するなら本当はPDFを使わず、全面的に可変的な表示画面を作りたいとも思うのですけれど、現実問題としてそれはかなわない。ベタ打ちでアップロードするという気の遠くなるような作業を確実にこなしていくための人手がないし、学術論文としては現状、固定された「ページ数」「行数」というものがないと引用「される」ことができないという根本的な不自由があります。『人文自然』は個人のサイトでもブログでもなく、不特定多数の人たちのテクストが引用したりされたりする学術営為の場のひとつとして構成される必要があるから、今のところPDFという中間的な媒体を使う以外どうしようもないんだけれども、それゆえにいっそう、ブックデザインとレイアウト、組版が担ってきたものの重さをいやましに意識することにもなりますし、それは人文学史的にも非常な重要な意識のはずなのです。作者・筆者がテクストを書くのにかけた時間よりも、組版の人がいいものを作ろうとしてかけた時間の方がえてして多かったりするんだということ、その裏には技術があるんだということを、事あるごとに知らしめたい。『人文自然』を電子化するのなら、そういうことを多くの人になんとなく感づいてもらえる場にしたいな、と思います。

工夫のかずかず——書物のイデアと電子版の折り合いをどうつけるか

小野電子であれば、本来、左右の余白なんてあんまりとらなくてもいいわけですよね。ホームページなんかもう左右びっちり字が入ってるものが圧倒的に多い。

浦野ええ、あれは嫌ですね、すごく。

小野今回はそこを、いわゆる本と同じようにノド側小口側の空きとか天地のバランスとかいうあたり、林もかなりこだわって目を通してくれましたので、そういうところがいわゆる見やすさ、読みやすさにつながってくるんじゃないかと思います。今、どうしても出版社さんも景気が悪いもんですから、本に目一杯情報を載せてページ数を減らそうという傾向がすごく強いのですが、それは本としてやっぱり美しくないです。

武村そうなんですよね、実際、80年代から頑張って素敵なものをたくさん作ってきた出版社の本でさえ、最近いただいたのをたまに見ると、天地のアキもノド小口のアキもみんな同じでそれぞれ1センチしかないみたいなものが多くて、ぎょっとします。本当にびっくりする。

小野最近多いのが、小口側のアキがほとんどない本。本はこうやって(仕草)両手で開いて持つので、小口にアキがないと手で隠れちゃうから絶対読みにくいはずだし、読んでもすごく可読性が悪くなるはずなんですけど、とにかくページ数を減らそうっていう方へばかり頭が行って、そういうレイアウトになってるんだと思います。あれはちょっと嘆かわしい。

武村今回電子だからそのあたりどうしようかなと思いまして、PDFだから固定は固定なんだけれども、じっくり読むときはプリントして読む人も多いだろう一方で、画面上でスクロールで読む人も当然多いだろうから、そのあたり大いにいろいろ迷ったんですけど、例によって林さんに、すごくたくさんのやり取りに付き合っていただいて。

小野見出しのところとかね。

はい。今回PDFオンリーなのですが、やがてはこれを印刷して本の体裁にされる場合もあるのかなということが最初から頭にありましたので、それもあって、見本組を出しながら武村先生と相談して何度かやりとりさせていただきました。PDFで画面閲覧ですと、1ページずつ上下につながって上から流れるので、従来の書籍の体裁のままだとちょっと読みにくさがあるというご指摘がございました。

武村特にハシラが挟まるのがね。従来の『人文・自然研究』の体裁だとハシラが地にあるんですけど、PDFでずらずらつながって流れてくると地が地にならなくて、テクストの間にハシラが挟まる感じになって、読む動きを妨げるので、無理言ってハシラを脇によけていただいたんですけど、それ以外は、ほぼ、ね、イデアとしての書物がここにあるっていう前提で作っていただくことになりましたね。通しノンブルを入れるとかも含めて。

ええ。

武村精興社さんに噛んでいただいたからには、書物というイデアが捨てられないということはもうわかっているので、それであれば本当にいつかこのままこれを版下として印刷することがありうるという前提で、ただハシラは挟まってないという。

版面の位置なども縦組み横組みで齟齬がないようにしてあります。若干の誤差が出るのは仕方ないんですが、地と小口のですね、ノンブルとハシラの位置は合うようにしてありますので。

武村ある意味、そういうふうにしていただいたおかげでページ数が増えたんですね(笑)。A4のPDFにいっぱいいっぱい字を詰めたら、あと1.5倍ぐらいは入るんだけどね。版面も字数行数も読みやすさをめいっぱい考慮してくださったので、とてもきれいな仕上がりになったと思います。

浦野「余白」についてもう少しおうかがいしたいですが。

はい。

浦野余白って基本的に目を向けない部分、何もない部分なわけですが、実地の場面で組みを考えるときに、余白についてはどんなふうに、意識を具体的に働かせておられるんでしょうか。

そうですね。図版が多い場合は、文章に対する図版の位置を意識して、図版と文章の開きのバランスを見ながら配置します。図版と文章の開きが狭いと窮屈な感じがしますし、逆に広過ぎても間延びした感じになります。又、頭注や傍注が入る場合は本文に対して天やノド・小口側に予めスペースを作った版面設計とする本がありますので、注が少ないときはそこが余白となってしまいます。『人文自然』は基本的に図版が少なく文字主体の雑誌なので、一行の長さと左右の余白が問題になりました。一行を長くして文字をたくさん詰めればページ数は減らせますが、あまり長いと読み辛くなりますよね。A5判でしたら版面が小さいのでまだ目の往復もそれほどきつくないと思いますが、A4判になるとその分長くなりますので。

浦野はい。

そこで見本組を出しながら武村先生ともよく話し合いをして、若干左右幅を狭めようということになったんですけども、そうするとその分の余白が発生します。さっき話に出ましたように今回PDFということでハシラを地でなく小口に置いてますので、その余白があまり空きすぎると、何かこう本文とハシラの間が間延びした感じになりますので、そこは悩みどころだなというのもあるにはありました。それで、ヴィネットのようなものを置いてみたらどうかということで。

浦野今回ヴィネットを入れてみようという話を最初に聞いた時は、確かに何か入れたほうがいいのかもと思いながら、そのときはヴィネットのない見本組を見ているので、なければないで気にならないかもしれないという感じもしてたんです。でもゲラが出てきてそこにヴィネットがあるのを実際に拝見すると、やっぱりこれがなきゃいけなかったんだろうな、という感覚にもなりました。変な言い方ですけど、ないと、余白が余白として目立ちすぎるのかもしれない、という感覚ですかね。ぼくの世代は、もうPDFでいろんなテクストを見るのに慣れている世代なんですが、それでもいただいたPDFはとても読みやすいなと思って、自分の中での読みやすさの基準って何だろうと改めて考えてみたんです。すると、やっぱり、書物の1ページがそのまま画面に映ったもの、として読んだときに読みやすい、というちょっとねじれた感覚で読んでいたのに気づいたんですが、お話を伺っていると、書物から離れたPDF自体としての読み易さ、というものも別途あるんですね。林さんは、設計に携わられるにあたって、PDFだからということにどの程度、重きを置かれたでしょうか。

そうですね、それほどPDFにこだわることはしませんでした。文字の大きさは既刊では8.25ポイントだったのですが、A4判で組版するとやや小さく感じました。文字を少し大きくしなければならないかなと思ってA4判で作られた本も参考にしながら、まず実際に印刷物にしたときの文字の読みやすさを意識し、その上でPDFにして読む場合を考えました。行間については既刊本のバランスをなるべく変えないようにということも念頭に置きながら設計してみました。

武村とても繊細なバランス感覚を要するお仕事ですよね。

浦野そのバランス感覚というところで読みやすさを考えるときに、最終的な基準というか、どこに基準を置いて読みやすさというものを考えていけばいいのか、非常に難しいというか、結構わからないところがありますよね。

いや、わからないですよねそれは。PDFの閲覧は使う人のその機器環境、パソコンの画面の大きさが異なりますし、パソコンで見るのかスマートフォンかによっても変わってくるので、そこまで考えていたらたぶんキリがない、やっぱりどこかで基準を決めなきゃいけないんじゃないかと思いました。そうすると実際は、「本として印刷されたもの」が基準になりました。

浦野今回『人文・自然研究』のホームページを作らせていただくという機会に恵まれて、根本的なところで興味深くもあり悩ましいとも思っているのは、ひとつには、ホームページであるからには「本」をそのまま基準にできないということなんです。それでいて、精興社さんから届くPDFを眺めたり、こうしてお話を伺ったりすると、何というか、そのPDFを載せる土台としてのホームページにおいても、精興社さんがこだわってこられたものを何らかの形で反映させたいなという考え、というか気持ちになる、でも、じゃあいったい何を反映すればいいんだろうか。ホームページですからいろいろな点で可変的で、テクストの幅も行数も固定はされない——固定できなくはないんですけど、マークアップ言語を使うからには、そのあたりを固定してしまうのは媒体の基本態度としてありえないわけで、テクストがそんな風であるような媒体において、精興社さんが築き上げてきた組版の、その姿勢みたいなものをどう引き継げばいいのか、何を反映すればいいのか、結構とても掴みどころがなくて。組みもフォントもユーザー環境次第で変わってしまうような媒体において、なお引き継ぎうるものがあるとすれば、それは何でしょうか。うーん、何とお聞きすればよいのか——

武村——つまり、そうですね——『人文・自然研究』も昨今の大学紀要の例にもれずすでに大学図書館の電子リポジトリにアップロードされているので、紀要を電子化するといっても普通はわざわざホームページなんか作らないし、作ったとしてもそこから機関リポジトリに格納されてるファイルへ直接リンクさせるのが一般的だと思うんですけど、この『人文・自然研究』は、リポジトリにも一応繋げるけれどもそれはそれとして、ホームページ上にちゃんと目次を作って、そこからリポジトリを介さず直接PDFを開くようにする予定なんですね、だからこのホームページは、単に「リポジトリはこちら」を示すための標識ではなくて、ちゃんと、いわば精興社さんのPDFをひとつひとつ包んで大事に入れておく展示ケースというか、モナカか何かをひとつずつ包んでそれを梱包している化粧箱みたいなものなんですよね。

小野はいはい。

武村で、どんな化粧箱がいいですか?という。

浦野なるほど。

小野いやーもうそればっかりは正直——

ウェブデザインの領域ですね。

武村(笑)そうだけども、その、和菓子を作る人と箱を作る人は違うわけですしね、あの、持っている技術をつぎ込んで作ったお菓子がね、あの、こんな化粧箱じゃ嫌だなとかいうのがおありになったりしないでしょうか。こういう梱包なら最高みたいなのはないかもしれなくても、こういうのはせめてやめて欲しいというのはあるのではないかと。で、どういうのだととてもお嫌でしょうね?

小野どうですかねぇ……あんまりそこ考えたことなくて——

ええ、こっちとしては、そんなこと言えるような立場じゃありませんし。

武村でも、おっしゃってもいいんじゃない?

小野しかし元来が私たちは、製品そのものであるとか、製品の部品であるとかを製造する側で培ってきた会社ですので、じゃあこういうふうに売ってくださいとか、こういうふうにラッピングしてくださいというのは、意見したことがありませんので——

武村それはお立場としてはそうでしょうけども。でもこうしてPDFを作るときにも、これがもし紙になったらこういう本になるだろうというのを念頭に置かれながら作ってくださっているんじゃありませんか、そしたら、その本にはどういう表紙がいいかなとか、そんな感じのことはおありなんじゃないかとも。おありではない?

小野うーん、あんまり、正直ないんですよね。自費出版の場合こちらである程度装幀を考えたりしますけども、そこに関しては会社のこだわりも個人のこだわりもあんまりなくて、どういうものを作りたいかをきいて、それを組み上げて形にするのが仕事なので。

武村ああ、そうか。なるほど。つまり自分で考えろってことなのよね。考えてみれば私は『言語社会』創刊のときから、本来出版社にかけるべき迷惑をじかに精興社さんにおかけしているのよね、というか、本来ならデキの悪いド素人の編集者が精興社さんにかけるたぐいのご迷惑をおかけしているわけよね(笑)。けど要するに、ね(浦野に)、「反映する」ことはたぶんできないんですよ、絶対そんなことは、逆立ちしたって反映したり引き継いだりってことは全くもって無理で、だからあえて言うなら梱包にあたるウェブの部分は、絶対に紙ではできないことだけをやるしかないんじゃない? だって、紙でやることなら精興社さんがおやりになるわけだから。何がしか反映させようと思うなら、紙ではできないことをやることによってしかそれは可能ではないんじゃない?

小野一般ユーザー的な立場で言わせていただければ、あのう、目的のものが、よりわかりやすく、見つけやすくなっていれば、それでいいのではないかと。

武村(笑)そして支障なくちゃんとPDFが開けば。

浦野それこそが一番大事なことですね。

市場はめぐる——時代に呑まれつ抗いつ

A4判ですから、図版を多くしてビジュアルに見せるということもできますね。例えば美大の紀要なんかはA4判を使ってるところも結構ありますので、文章があって、側に写真を置くような。そのような余白の位置に写真を持っていって、版面を短くすることもできます。

武村一種の段組みにするんですよね。文末註じゃなくて註段を設けるというのも考えたんですけど、今回特にそれだと註が入りきらないだろうというのもありましてね。写真といえば、小特集の写真図版ね、今回とりあえず左寄せでお願いしますと言ったんですけど——

はい。

武村今回あまりに慌ただしいから、これも来年度以降の工夫でいいんですが、確かに、本当はもうちょっと面白い置き方がある気はしますよね。

浦野図版といえば、今回はウェブ公開のおかげでカラー図版が使えるようになって、それはいいんですが、プリントする段階では、また別種の問題が出てきますね。

武村特に「小特集」で写真家さんや美術家さんの写真作品が図版で載りますから、読者が手近なコンビニとか自宅の簡易プリンターでカラー印刷したときにひどく劣化しちゃうのを避けたいというのがあって、それで、ウェブ表示用のカラー版PDFとプリント用のモノクロ版PDFを両方作っていただくことにしたわけなんですけど、あんまり非効率的でしょうかね。どうなんでしょう?

カラーのものを普通にプリンターで印刷したいというだけなら、モノクロの設定でたいていは刷れるので、カラー版だけ作っておけば良いと思うのです。ただひとつだけネックがあって、カラーのものをモノクロにするとき、色によっては差が出ないんですよね。カラーでの色の違いは、色によってはモノクロに換えたとき、特に図やグラフなどでは色を多く使うので個々の差が識別できず、それでせっかくの図が判りにくくなる懸念があるわけです。

武村それもありますね。小特集以外の単独原稿でも、すごくいっぱい色を使った綺麗な図表を使ってる方がいらして、あれなんかそのままモノクロで刷ったらなんだかわからなくなるだろうと思うので、やっぱそこは処理をお願いするのが筋だろうと思うんですね。仮に1色で紙に印刷していただく場合にも、処理をお願いするところですものね。

小野そうですよねえ、場合によっては本当に判別つかなくなっちゃいますからね。

武村それで思いついて今計画してるのは、画像のところにURLを埋め込んでおいて、クリックするとカラー画像が別窓で開くようにするということなんですけど、そうするとPDF自体はモノクロだけ作っていただけばいいことになるのかな、と。

小野単純にカラーのものをモノクロ表示するのではなくて、印刷用にグレー変換をかけると多少は見分けがつきますので、そこでやるか、あるいは——でもせっかく電子のいいところですから、おっしゃるようにURLを入れておいて閲覧するときはそっちに飛ばしてやるのは一番簡単かもしれませんね。

武村ええ、ただ、今回その図表を入れてくれた人が喜んで投稿してくださったのには、カラー図版を使えるということも大きかったかとも思うんですよね。PDFを開いて閲覧したときに、普通にカラーで絵が入ってるということ自体の魅力も捨てがたい。

小野冊子体でフルカラーでっていうと、単純に4倍とは言いませんけども、やっぱり数倍値段が変わってきますからね。

そうですね。

小野電子ですとお金かかりませんので。

実際、本の形にすることもコンセプトの中にあると、カラーになればやっぱり多少値段は上がってきますからね。

小野今考えると結構お金かかってるんだね、『人文自然』も。

以前はかなりページ数がありました(笑)。

小野これ、本当にカラーページ? アブストラクトのページ。

これは、2色なんですね。

小野これ2色?

浦野あ!

はい、特色とスミの。

小野この地の色が印刷してあるんですね。この色の紙を使ったのではなく、刷ってあるんで、紙の表裏が色違いで、こっち側だけ色が強いです。

※『人文・自然研究』冊子体初期の書容設計は、アンズデザイン(当時)小路昌也氏による。並べて立てると、背表紙の中央に畝のあるラインができるが、これは「大地を耕して種を植えつけているところ」なのだそうであった。「人文・自然研究」がやがて芽吹き育って実りを獲るように、と。今回ホームページ制作にあたり、この「大地の色」をぜひとも継承したく、その上にかつ緑の葉の色を加えた。

浦野気づかなかった!

はい。

小野こういうのはね、たくさんお金かけたね。

結構凝ってますね。で、途中から、第何号からか——

小野これは紙色を変えたんだよね。

はい、第11号のとき装丁類(表紙・見返し・扉)の紙の色がメーカーで廃色となったため、同じ銘柄の用紙で色が代わりました。また第10号からアブストラクトの特色刷が無くなりました。

小野でも、これ表裏で色が。表が白だよ? これ新しい方だよね?

そうです。

小野あーあー! 特色じゃなくてアミか!

特色の代わりに地色を墨網にしています。だから1色刷りですね、こちらは完全に。

小野つまりお金かけてないわけだ。

コストダウンになっています。

小野本当は、もうちょっとお金をかけられれば、紙みたいにペロって画面を捲る仕組みも作れるのですが、それだと費用かかってしまいもったいないですから、今回あえてご提案しなかったのです。

武村そうねー、そこまでやるんなら紙で作りたいな。以前も申したように私は本当はPDFというのはとても中途半端な媒体だと思っていまして、ホームページの中でこのPDFなるものをどう位置づければいいのかで浦野くんが悩むのも、要は、紙ではないくせに限りなく紙に近づこうとする鵺みたいな媒体だからで。しばらく前まではPDFなんて過渡期的なものだろうと思ってたんですけど、すっかり定着しちゃいましたね。

小野何といってもハンドリングが楽なんですよね。一般の方でも扱いやすいし。

武村ええ。

小野しかも、Adobe Readerって今無料配布じゃないですか。そこが大きいですよね。有償のソフトを入れなきゃいけないとなるとなかなか一般家庭では手を出しにくいですけど。スマホでも見られますからねPDFだったら崩れずに。

武村そこらのコピー機でも、PDFなら差し込めば印刷してくれるしね。

小野昔はフォント読み込めなかったですが、途中からフォント埋め込みできて、しかも、テキストも裏に持たせられるようになったりして、どんどんPDFも進化していますよね。その辺が良いとこじゃないですかね。実は今、印刷の工程も、全部基本的にはPDFで動かしているのです。

武村え、そうなの?

小野昔は、専用のフォーマットに書き出して、レコーダーで受け取って印字してっていうやりかただったけど、今は、全部基本的に動かすのはPDFで。バージョンはそれぞれありますけど。今X-4が主体になってきて、そのバージョンであれば、どこのメーカーでも受け取れる。うちの会社で使っているメーカーさんでもPDF。PDFさえ渡しちゃえば、こっちの別の会社さんが使っているレコーダーでも受け取れるっていう、要するに共通フォーマットになってしまった。

浦野(小声で)そっかぁ。

武村恐ろしい。

小野業界がそう変わったのですね。昔はPDFなんて、本当に確認のためだけのツールだったですけど。それが今や中心になって、全部のシステムができつつある。どんどん軽くもなってきてますし、それでいてデータも情報もばんばん載せられますし。

武村もうこうなると本当に、しばらくはPDFベースで世の中の言語情報は回ることになりそうですね?

小野と思います。

武村どこそこから先は目をつぶるというお話がさっきありましたけども、目をつぶらない部分については、そうなると昔ながらの紙の書物という、とても贅沢な美術品を作成することで貫徹することになりますかね、やはり。

小野今、印刷の方もだいぶ進化をしています。弊社は今まだアルミの版を出して、それにインクをのせて紙に転写してっていうやり方をとっていますけど、デジタルのインクジェット印刷機が世間ではもうずいぶん増えています。ただ、やっぱりまだ本当のインクで刷った品質に比べると落ちるということで、うちの会社は導入してないですが。そこは、会社のこだわりじゃないですけどやっぱりね、そこは時代に逆行してもいいから、そのやり方を続けようっていう。あと、個人的には、読みながら書き込みがしたいほうで、電子でもやろうと思えばできますけども、やっぱりちょっと違う意味合いになってくるので、どうかな。今、教科書が、小学校のものもデジタルになるという話がどんどん進んでますけど、あれはもう私は絶対反対なんですよね。

武村パラパラ漫画が描けないですからね。

小野そうそうそう(笑)。

武村偉人の肖像に変なひげ描いたりね。

小野あれも、各国が教科書デジタル化して失敗した事例があるのにね。確か、8年前か9年前かに、仕事で韓国に行ったのですが、その頃ちょうどSamsungが全児童に自社製のパッドを配布して全授業デジタルでっていう話があったんです。けどその確か2年後ぐらいに、学習能力がガクッと落ちたからやっぱり紙に戻すことになった。確かドイツだかどこだかでも同じことがあったのを、日本はこれからやろうっていうんだから。

武村極端なんですよね、日本はね。電子も紙もそれぞれ一長一短あるという議論は、もう20年以上延々となされてきたんだから、そろそろ、いいとこ取りの折衷併用メソッドが確立してきてもよさそうなものなのにね。というか日常生活レベルではみんなけっこう普通に併用してるじゃないですか、それが政策レベルというか機関レベルになるとガチガチになっちゃう。コロナ禍がなかなか収まらない中で、大学での授業は教室での対面授業とオンラインとどちらが望ましいかとか、どっちかに寄せようとする議論が多いでしょ。そこにはまあいろんな事情もあるにせよ、どっちに寄せるべきかみたいな議論にどうしてもなっちゃう。どっちもやればいいじゃないかと思うんだけども。オンライン授業か対面授業かという議論は、電子か紙かっていう議論とちょっと似たところがありましてね。そういう時代に、そういうお立場の印刷のプロフェッショナルの目から見て、大学が出すこういうものって、どうなっていくべきだと思われますか?

小野これはもうねー、私の口からポンと何か言ってそれで片付く話ではないですけども。この先の将来のことを考えたときに、当然私たちとしては紙として残していただきたいし、読む方も紙で読んでいただきたいなというのがありますけども、物量として残ってしまうからには、保管場所とか保管期限の問題が出てきますし、紙ですから当然劣化していきますのでねえ、電子の方が主体になっていく可能性はかなり高いと思います、うちも大学さんは何校もお付き合いさせていただいていますけど、どこも徐々に印刷部数が減ってきて電子化必須という状況に来てますね。

武村保管という点でいえば、もう十年一日の議論だけど、確かに紙のほうが劣化はするとはいえ、電子は停電すれば読めない。十年もヴァージョンアップ怠ってたら二度と読めない。紙のほうはうまく残れば2000年前の本だって読めるという。

小野個人的な考えで言いますと、とくに大学関係の論集の場合には、記録をするという意味合い、皆さん、先生方がお書きになった論文を形として保管するという名目がありますので、やはり紙として、まあ1年に1回でも構いませんけどもラインナップをそろえていただく。それが基本の考え方だと思ってはおりますね。

武村それをね、お金がなくて収納する場所もないときに、でも紙で残していこうとするなら、たぶん、とれる手段はただひとつで、掲載論文を絞り込むことなんですよ。さっき言った、日常的に消費される電子媒体と、贅沢な貴重品としての書物の二極分化の話とやばく絡みますけどね。例えば精選に精選を重ねた論文を1年に1本ずつあつめて10年に1度刊行する。それでいいような気もしなくもないんですがねえ。そうすべきだと私が思っているというわけでは別にないですけど、仮に掲載本数がぐっと減って、刊行ペースがぐっと落ちたとしても、それでも最高に良い雑誌だけを紙で残すべきだ、という意見を言う人がいても本来おかしくない。5年に1回とか10年に1回とかのスパンで最高のものを10本だけとかに無理やり絞り込んで、同僚どうし血で血を洗う争いをしてみたらどうか、みたいな暴言を誰か吐かないのかしらね。

小野僕らがやっている他の大学さんの紀要でも、研究論文は最低本数だけ決まってるんです。基本的には論文を無制限に集めて、最低本数以下だった場合はその巻は休刊という。ですから多い時は、それこそ20本とか、少ないときは本当に3本4本とか。

武村今は、だって16世紀とかに比べたら、学術論文、のようなものを書くという人も、書かれるものも膨大に増えてる。またそれを増やせという上からのお達しが非合理的に強くなってきている現在ですから、それを全部紙にしていったら、もちろん場所はなくなりますよね、電子のほうへ進出していかない限りは。

小野まあでもほんと、電子の市場、どんどん増えてますね、我々が携わっているいわゆる電子書籍という市場も、右肩上がりで、多分2020年は3000億を超えるって言われています。市場規模が。

武村そんなにですか。

小野で、逆に出版に携わってる印刷の方がどんどんどんどん落ちて、昔は2兆円と言われてたのが今1兆3000億円まで下がってしまった。ここでどうせめぎ合うかなんですけど、多分2020年は『鬼滅の刃』のおかげでグッと伸びるはずです。ところが、いわゆる電子書籍の市場といわれるものにコミックが占める割合も同時に増えるはずです。これがどう影響するか。

武村そうか、『鬼滅』ってそんなところにまで影響及ぼすんですね。

小野単行本の増刷が間に合わなくて、書店に行っても一時全然手に入らなかったんで、みんなネットで買ったんですよ。で、やっぱりこれだと読みづらいねってなったころに、増刷のほうも落ちついてきて、皆さん本屋で買った。

武村なるほど。そうすると、電子版は読みにくいねっていう認識が一定浸透したんですかね、『鬼滅』のおかげで?

小野いやー、うちの子供たちも——子供といったってもう成人していますけど、ずーっと携帯でマンガ読んでます。

武村あそう(笑)。

小野親父がこういう仕事してんだから紙で買え、巡り巡ってウチの給料なんだからって言ってるんだけど。

一同(笑)

浦野ごく最近、つい2、3年前からですかね、ツイッターに漫画上げるというのが出てきて、ツイッターで人気になったものが書籍になるという。そのコマ割りとか見てると、これを書籍にできるのか、と思うようなところがやっぱり。

小野ありますね。

浦野むしろそういう形で電子的なものがどんどん増えていくのかもと思ったんですけどね。『鬼滅の刃』は『少年ジャンプ』に連載してるものなので、コマ割りも冊子のそれに沿ってるから、電子ではやっぱり読みにくいとは思うんですけど、それでも今たぶんデジタル市場的にはマンガが一番かと。

小野LINEでも無料でやってますし、いろいろね。息子なんかは『ジャンプ』の連載を電子で読みますけど、2週遅れくらいで読めるらしいですね。eマガジンとかに入ればすぐに読めるんですけど、お金がかかるんで、お金がかからない方法だと1週間か2週間遅れになるんですって。

武村それは速い!

小野今の人たちは、考えることが恐ろしい(笑)。あと、去年、東野圭吾さんと宮部みゆきさんと湊かなえさん、この3人が、電子化を許諾したんです。

浦野あ、そうでしたね。

小野それが市場にどう影響するか、ちょっと気になるところではあります。もっとも、たまたまこの3人の作家さんは、うちではやってないんで(笑)、うちには直接関係ないんですけど。

武村電子許諾したら当然、紙の方の売れ行きが落ちる?

小野そこがね、出版社さんによっては、電子化する費用というのを、広告宣伝費とみなしているケースがあるんです。とにかくネット検索で引っかかってくれて、それが紙の売れゆきにつながればいいという考え方で。

武村ははあ、なるほど。売れなくてもいいと、電子は。広告宣伝塔になればいいと。

小野頭のほうをペラペラって電子で見本見てもらって、面白そうだなって思って紙を買ってくれれば、万々歳だと。

武村すごい話だなあ。

浦野検索にひっかかりさえすればいいとなると、電子版そのものはますます、モノとしては精度高いものじゃなくていい、ってことになってきますね。

小野そうです。もうね、立ち読みサイトなんかだと、ほんとにテキストの羅列です。ひどいもんです。まあ、そういうご注文もいただくんで、そしたらウチもそういうふうに作りますけどね。電子用には。

浦野(枯れた笑い)

武村ちょっとあの、最後になって怖い話に。

小野(笑)エディタースクールっていう業界の専門学校があって、もともと編集とか校閲の業界に入りたい人が通う学校なのですが、電子書籍もこれからやっとかなきゃというので、数年前から依頼を受けて、その半年コースに通っていらっしゃる学生さんに向けて、電子書籍のイロハのイからの講義を1時間半、実物を見せたりしながらやっておるんですけど、ここのところ皆すごく熱心に聞いてくれるようにはなりましたね。自分でも読んでるという方が随分いますしね。

武村もうさすがに電子書籍も、世の中から消えることはないでしょうし、なくてはならないものになっていくんでしょうからね。でもやっぱりなんで電子「書籍」じゃないといけないのかなっていう疑問は相変わらずありますよ。

小野確かにそうですね。多分、通りがいいんでしょうねその方がね。

武村そうなんでしょうね。電子だ電子だ言っててもやっぱり「書籍」というものへのノスタルジーは残るものなんですかね。せっかく電子なんだからもっと別の言葉を考えればいいのにと、そうすれば棲み分けももっと明白になるのに、と常々思いますよ。

小野ePubとか。

武村まあいいんじゃない、わかりやすくて。

小野eBookとか、色々な言い方されてますけども、でもやっぱり「電子書籍」がいいんでしょうね。

武村権威があるような気がするんでしょうかねえ。

小野でも、コミックも雑誌もいわゆる書籍も全部ひとくくりで「電子書籍」なんで、そこはあんまりいい感じではないですね。

武村もうちょっと言葉を工夫していかないと。

浦野さっきもちょっとお話にありましたけど、ページがめくられる様子が疑似的に再現されるやつがあるじゃないですか、そういう、ちょっとした「何か」を残しておきたいという感じと根は同じなんですねきっと。

武村電子々々って言うなら、めくるなよ!

浦野(笑)

武村めくらなくていいじゃないかと。めくりたいなら紙の本をめくりなさいよって思うんですよね。

小野結局何かビジュアル的なものをつけたいんでしょうね。

武村ロマンなんですかね。

浦野いやあ、あれやられるとスペックの低いパソコンだと落ちるんですよね。

小野落ちます落ちます。

浦野正直読みにくいんだからもう(笑)。

小野あれやるだけでデータ量が増えますからね、ぜんぜん。

武村大事なところだけ大事にすればいいのにね。

日々新たな技術とともに

富重あの、2008年の『言語社会』インタビューのときに先生が青梅工場に伺ったようで、羨ましいなと思いまして。今はもう青梅工場はやめちゃったと伺ったんですけれど。

小野いや、まだ工場としては稼働しております。ただ印刷機を全部朝霞工場のほうへ集約してしまったのです。

富重あ、そうなんですか。

小野もともとはカラーの印刷を朝霞で、モノクロの文字の印刷は青梅工場というふうに使い分けてたのですが、実は青梅市って、東京都なのに東京都扱いにしてもらえませんようで、用紙店さんが印刷用紙をトラックで運んでくれるときに、1回2トン以上ないと青梅には直送してくれないのです。

富重そんなことが。

小野あそこ陸の孤島と言われているようです。なので、しょうがないから朝霞工場に紙を卸していただいて、そこから自前のトラックで青梅に運ぶっていうことをずっとやっていました。で、青梅工場で印刷し終わったものを、今度は当然、製本工場へ持っていかなきゃいけないのですが、それも自前のトラックです。もっと極端なのが例えば表は4色で裏は1色というような仕事の場合で、そういうときは朝霞でカラーを刷って、刷ったものを青梅に運んで裏を1色で刷るっていう。

浦野(笑)

小野非常に効率が悪いのがわかりまして。朝霞工場に印刷機を全部統合したんです。そうしましたらなんとですね、年間で結構な額の運送費が浮きまして、経営的には非常に楽になったのと、効率も非常に良くなりましたね。今、青梅工場には、組版をする人たちがまだおります。40数名はまだ青梅工場にいて、組版と校正はやらせていただいてる。今はネットワークが良くなりましたので、神田と青梅と約50キロぐらい距離が離れてるけどネットワークでつながっているので、同じ場所にいるかのように作業ができます。なので組版は遠くてもとくに問題ないのです。

武村PDFがあれば?

小野そう(笑)。組版したデータは神田にあるサーバに溜めてある。青梅のパソコンから神田にあるプリンターに印刷キューをだすと、勝手にそこでプリントアウトしてくれるので、非常にそこは楽になりました。『言語社会』も以前は青梅で組版から印刷まで完結という形でしたが、今は完全に組版・校正だけにしてしまって、あとは、昔の金属活字やなんか活版時代のものを取ってありますので、それの展示場だけ残ってます。

武村あ、展示はまだあるんだ。

小野インタビューしていただいた当時私は青梅工場に在籍していました。当時は青梅工場だけで社員が90人くらいいた。今は半分以下になってますけどね。

武村でもそこに、あのころのオペレーターさん達もまだいらっしゃる?

小野います。当時のオペレーターもまだ残ってます。

武村何といっても精興社さんのすごいのは、原稿に対するほとんど内容にまで踏み込んだツッコミが現場のオペレーターさんから来ることよね。そこが本当にすごくて。あの、そういえばさっき検索にひっかかるって話がありましたけど、今日この会に参加するはずだった編集委員のかたが、実は『言語社会』のほうの今年の編集長なんですが、何ですか今年執筆者のひとりが、事情で早めに再校が欲しいとのことで——

小野あー、はい、お一人いらっしゃいましたね。

武村それで、とても無理かと思ったらそれをなんと驚くべきスピードで出してくださったんですってね、それをその人がすごーく感謝して、感動して、林さんのお名前をその編集長からきいて、ネット検索したんですって、そしたらこれ(『言語社会』精興社インタビュー)が出たんだって。

小野(笑)もうだいぶ前ですけど、うちの娘が中学校のときかな、パソコンの授業で自分の名前で検索して何がかかるかっていう授業があったんですね。有名人じゃないし当然自分のことは出てこないけど、同姓同名でどんな方がいるかがわかる。娘はたまたま少女漫画家の先生かなんかのお名前が引っかかったらしいんですけど、帰ってきて、今日こういう授業やったんだよ、あ、そうなのって、じゃあちょっとパパの名前もやってみようってことになって、やると、引っかかるんですよこれが(笑)。

一同(笑)

小野あの時は私も社のほうでいろいろ広報活動しておりました。例えば機械の導入事例でメーカーさんのページにインタビュー受けたり、業界誌に記事書いたりしてましたので、結構どたどたどたっと引っかかったんですけど、でも1番トップにこれが来る。

武村すごい、嬉しいかも。

小野今もトップに来るんじゃないですか。メーカーの導入事例なんかは年数がだんだん古くなると削除されていくので、どんどん減っていってこれが残っています。

武村これからは、『人文自然』のほうでも来るようになりますよ。

浦野精興社で検索すると、あ、このPDFは精興社さんの組版だった、って感じで出てくることになるんですね。

武村全部の論考PDFに奥付入ってますからね、「組版:精興社」って。そうやって引っかかったスタイルが、PDFでもさすが精興社さんだなって、そういう人がたくさん出るような人文自然のホームページにしたいですね。

小野もう非常にこちらとしてはありがたいことです。そこでまた精興社の仕事がひとつでも認められればこんなありがたいことはない。

コロナが開けましたらぜひ青梅の方や朝霞工場へも遊びにいらしてください。

富重ぜひ!

小野青梅の組版を作業している現場は、今は汎用機なのでパソコンが並んでるだけであまり面白みがありません。でも朝霞のほうは、あれだけ大きな紙にインクをのせてる姿は一般にはなかなか見る機会がないですから、ぜひご覧くだされば。インクの缶なんかも積み上げてありますから。

富重はい(笑)。

武村例の、立体物をスキャンできる機械とかもまだありますか。

小野あれはね、神田にあります。

武村あ、神田。

小野スキャナーという機械は基本的には接触型で、コピー機もそうですけどぴたっと密着させて取るものですけど、離れた状態でスキャンできるのがあって、例えば額装されたものでも額のままスキャンするとピントは中身に合う。

浦野あ、使ったことあります、そういうの。ドイツの図書館にありました確か。本まるごとスキャンしやすいように用意されてた。

武村へー。

図書館ですか。

小野例えばギターとか、そういったものまでそのままスキャンできてしまう。

武村人間もスキャンできる?

小野えーと、今度の機械は人間もできるかな。前の機械は重量制限もあったので、お子さんくらいでないと乗らなかったですけど、今の機械は重量制限ないはずなんで(笑)。ただ、しばらくじっとしていただかないといけない。

武村なるほど。

小野こういう腕時計とかは実は、ダメなんです。秒針が動いちゃうから。

浦野なるほど!

武村まさに草創期の写真のようですね。

小野本来美術品用の機械なのですが、実はうちの場合は絵本の原画を撮るのに使うことが多いですね。切り絵があったり貼り絵があったり、わざと絵の具を盛り上げたりしたものを撮ると、陰影がつくんです。そういうものをフラットのスキャンで撮ると、ぺたっとなってしまうんですね、それだと作家の先生の意図が酌めないというので、立体で撮れるスキャナーがないと実は仕事にならないです。最近は、絵本作家さんが結構凝ってるんですよ。クレパスで描いて、その盛り上げた状態を撮って欲しいとかね、クリスマスのリースみたいな状態の絵を持ってこられて、これを入れてくれとかね。

一同(笑)

小野あとほら、紙を切ったものをこう重ねていって立体感を出すのがあるでしょ、ああいったものをぜひスキャンしてほしいというご依頼があると私どもはその機械を使うんです。

武村昔だったらカメラマンが1枚1枚撮ったのよね。

小野そうですそうです。ただ、カメラですとどうしても端のほうが歪むので、専用のスキャナーを使っております。

武村面白いですねえ。

浦野確かに絵本は、たぶん年代を追って見ていくと、本自体の工夫ももちろんですが、モノとしてそこにあるかたちの工夫というか、それが何かものすごいことになってきてる感じがしますね。むしろそれこそ、印刷会社さんのほうでこういうことができます、ああいうことができますっていうその技術のほうが絵本の進化に反映しているということでしょうか。

武村これこれこういうことができるってわかると、どんどんこれもやってあれもやってってなりますものね。

確かに技術は進歩しますね(笑)。

小野印刷業界もここ20年ぐらいで一気に様変わりしています。それまではそんなに大きくは変わらなかったんですよ。ところが、技術がどんどん良くなってきた。だから以前、全部分業で人手がかかってたころ、うちの従業員はマックス500人だったのが、今は機械化が進みましたので、150人でまわせます。もっとも、うちの場合は人員整理したわけではなくて自然減で、定年退職なんかで減ったぶんを新規採用しないという形だったわけですけど。時間をかけてね。

やっぱりコンピューターですね。デジタルになってからガラッと変わりました。

小野だって版を作るだけで、昔は朝霞だけで40人とかいたのが、今は2人です。全自動なので。

武村それもPDFの威力?

小野そうです。

PDFはすごいですよ。

武村電子化してDTPになっただけではそこまで行かなかったんですよね。

小野そうですね。その後のシステムがどんどん変わって。

人間の方がむしろ追いつかないのでは(笑)。

小野もう本当に私達は日々勉強です。どんどん新しい機械が出てくるので。

武村そうですよね。大学だってね、紀要の電子化もそうですけど今回また大々的なオンライン騒ぎで、新しい技術がどんなもので、どこまでどのように取り入れるべきなのか、日々勉強を怠っていてはいけないなというのを痛感する日々です。今日もまた勉強させていただきました。ありがとうございました。