ラウンドアバウトのすすめ
金井嘉彦
JR国立駅を降りて南口を出ると、目の前に広い空間が広がる。中心には円形の緑地。まわりには銀行、
本屋、パン屋などが並ぶ。その間はバスや車、タクシーが通る道になっている。これをなんと呼ぶか。
そう、ロータリー。
国立駅前のロータリー(グーグルマップより)
英国ではこれをラウンドアバウトと呼ぶ。ラウンドアバウトが使われるのは、道と道とが交差する交差
点が主になるが、辻といった小さいものから大きな道路と道路の交差点にまでラウンドアバウトが使われている
ため、至るところにラウンドアバウトがあるような印象を得る。高速の入り口もラウンドアバウト。高速と一般
道路、あるいは他の高速との交差点にもラウンドアバウトが見られる。余談になるが、道を間違えた時などには
日本の場合はインターを降りなくてはならず面倒だが、英国の場合には、ラウンドアバウトがあるところでUター
ンすればよく非常に便利である。もちろん、これができるのは高速料金を徴収していないという背景がある。
ケンブリッジのラウンドアバウト (グーグルマップより)
国立駅前のロータリーはうまく機能しているとは言い難く残念だが、ラウンドアバウトのルールを確認してみ
ると、驚くほど単純だ。(単純でなければ、混乱が生じるので当たり前といえば当たり前なのだが。)それは右
から入ってくる車優先ということだけ。よって、ラウンドアバウトに入り、左折、直進、右折をしようとする車は、
ラウンドアバウト入り口で一時停止をし、右を見て、右から車がくればそれが通り過ぎるのを待ち、右から車が来なけ
れば、あるいはすでにラウンドアバウトに入っている車が十分遠くにいるのであれば、ラウンドアバウトに入って望む
方向に進めばよい。その際に、近くの出口から出ようとする車以外(つまりは直進したり、右折、あるいはUターンし
ようとする車)は、ラウンドアバウトの中側のレーンに入り、自分が出ようとするところが近づいたら外側のレーンに
出るというルールがあるが、これはラウンドアバウト内に2車線ある大きなラウンドアバウトの場合に適用される。実
際には一車線しかない小さな、それこそ愛らしいラウンドアバウトがたくさんある。
ラウンドアバウトにはたくさんのメリットがある。まずは、信号が不要となること。信号機には無駄が多い。人や
車を待たせる時間的な無駄、景観上の無駄、設置費用の無駄、電力の無駄。例えば夜中の信号機。車がいようがいま
いが、信号機は交通を規制する。交差点に入ろうとする車がいなくても待たなくてはならないのは合理的とはいえない。
信号機はまた景観を損なう。車から信号機を見やすくしようとすると、信号機は道路の上に置かざるを得ない。頑丈
な鉄柱にLEDを搭載した信号機を設置するのにどのくらいの費用がかかるか知らないが、そのお金を町並みをきれい
にする、あるいは景観を生かすための費用にまわすことができるとしたらその方がよいに決まっている。一つの信号
機を一日動かすのにどれほどの電力が必要なのだろう。全国の信号機すべてを合わせたら、その使用電力量たるや莫大
なものになるだろう。今のエコの時代にそぐわない。もう一つ大きな意味を持つであろうことは、信号機は人間や車を
管理する機械である点にある。人と社会あるいは国家との関係は常に大きな問題だが、管理とは国とかお役所とかと
いった「上」の人たちが考えるもので、市民はそれに慣れてはいけない。管理をされると、人間は受動的な立場に置かれ
自分で判断しないことに慣れてしまう。人間をきちんとした判断力と良識のある人間として見なそうとしないものに
は抵抗をしなくてはならない。
ラウンドアバウトにもデメリットがある。容易に予想されることは交通量の多いところでは機能しないこと。そう
いう場所では仕方がないので信号機を使うしかない。二つ目は、大きい、4つ以上の出口のあるラウンドアバウトに
入ると、方向感覚を失いどの出口で出たらよいかわからなくなることがあることであろう。これを克服するには慣れと、
どの出口を出ればどこに行けるのか看板を整備することが必要になろう。しかし、方向を見失った場合でも落ち着いて
グルグルとラウンドアバウトをまわればよいだけのことなので、基本的には問題はない。もう一つは、ラウンドアバウト
にした場合の方が、信号機を使った場合より、より広い土地が必要になる場合があることであろうか。これは国土の
狭い日本においては大きな障害になるだろうが、日本より国土の狭い英国で可能なのであれば、日本でも可能であろう。
話を国立駅前に戻すなら、あのロータリーはどのような経緯であそこに作られたのだろう。ついでに国立に全面的に
ラウンドアバウトを導入したらよかったのに。