巻数 回数   年月日  報告者       題    目
 56巻   第285回  2019年1月27日 今村 和宏  日本語教育からメディアリテラシーへ
 第284回  2018年6月27日 越智 博美   冷戦期の文化政策??女たちと本のプログラム
55巻   第283回  2018年2月7日 鵜飼 哲  ジャック・デリラ「詩とは何か」再読
   第282回  2017年2月7日 森千香子  ジェントリフィーションと排除と抵抗
 54巻 第281回 2016年10月26日  河野真太郎  ウェールズの政治と文学 −社会主義とナショナリズムの相克ー 
第280回  2016年7月27日 松井 咲子 日語教育における多読教育?その効果と可能性
 第279回  2016年6月22日 太田 陽子  日本語の運用と「文脈」―文法記述に書かれていないこと―
  53巻  第278回   2016年2月17日 三瓶 裕文  心的視点性と体験話法の機能についてードイツ語の場合
   第277回
 2016年2月17日  五味 政信 『五味版 学習者用ベトナム語辞典』を編んで 
   第276回   2016年1月27日 佐野 泰雄  トポス「不幸な青少年期」の近代
第275回 2015年12月2日 五十嵐陽介 音声学から歴史言語学へ― フィールド ワークとロシア資料に基づいた日本語方言研究
   第274回  2015年10月28日  *本例会は越智博美先生と河野真太郎先生が編集なさり、 語研所属メンバーも多く執筆している本著をとりあげて合評するものです。 『ジェンダーにおける「承認」と「再配分」―格差、文化、イスラーム』 (彩流社、2015年) 合評 コメンテイター:千田 有紀 先生(武蔵大学教授:ジェンダー学)大河内 泰樹 先生(一橋大学教授:哲学) 

 
 第273回

  2015年6月24日

三原芳秋

 スピノザを読むT.S.エリオットを読むー付・「持参金」のゆくえ

 52巻   第272回  2015年2月18日   
三枝 令子  

 
 日本語の今
   第271回  2015年2月18日   
石黒 圭子  
 
 日本人学部学生の日本語による作文執筆過程の分析
   第270回  2015年1月28日   
中島 由美 
 
 
 うたの生まれるところ
   第269回  2014年6月25日   
松原 真 
 
 
 西南戦争期の報道について
 51巻   第268回  2014年2月19日   
早坂 静
  (執筆代表

 
  『ジェンダーと「自由」──理論、リベラリズム、クィア』
                  (彩流社、2013年)合評
コメンテイター : 大田信良先生  (学芸大学) 戸谷陽子先生  (お茶の水女子大学)
   第267回  2013年12月18日  鈴木 将久    上海モダニズムをどう読むか
 
 第266回
 
 2013年11月20日
司会: 町田みどり  語研50周年の記念号企画座談会
鈴木道彦先生、中村喜和先生、諏訪功先生、櫻井雅人先生、松永正義先生
   第265回  2013年6月26日 小岩 信治 ピアノ協奏曲の誕生
50巻  第264回 2012年12月19日 井上 間従文  トランスパシフィックと戦争の記憶--歴史、アート、美学理論
  第263回   2012年11月28日 小泉 順也  ポール・ゴーガンの受容をめぐる諸相―没後の芸術家表象の展開を通して
  第262回 2012年7月 4日 森 千香子    題  名: 「反人種差別と反性差別の狭間で
     ――フランスの移住女性運動の展開と文脈の特殊性」  
  第261回 2012年5月23日
高橋 将一

 Introducing the Hidden Side of Language


49巻

第260回 2012年2月22日
田邊 秀樹

「死神はウィーンっ子−−−町の歌に聴くウィーン的死生観」
 
第259回 2012年2月22日 佐々木 滋子 マラルメとアナーキズム
第258回 2012年1月18日 松永 正義 日本人の台湾認識
第257回  2012年1月18日 古澤 ゆう子  アキレウス 怒りの終息
第256回  2011年12月21日 秋谷 治 絵巻物・写し絵とアニメーション
第255回 2011年12月21日 サリバン 効果的な英語教育――近年の研究動向
 Effective English Language Instruction: Recent Research    
第254回 2011年10月26日 ドボルザーク 日本列島と「ミクロネシア」〜戦争・帝国・グローバル化をめぐる太平洋からのアプローチ
第253回 2011年6月29日 吉野 由里      (執筆代表 『ジェンダー表象の政治学― ネーション、階級、植民地』合評会
第252回 2011年5月25日 櫻井 雅人 「仰げば尊し」とその原曲
48巻 第251回 2010年2月16日 三浦・河野 新自由主義の文化を研究しなければならない
第250回 2010年12月5日 Degen ・ 藤野 ワイマール短期語学研究2010 − 報告と課題
第249回 2010年6月30日 星名 宏修 娯楽と動員−植民地期台湾のラジオドラマと中山侑
47巻 第248回 2010年2月17日 井上 義夫 rラスキン『ヴェニスの石』巡り
第247回 2009年12月16日 佐々木 滋子 マラルメと第三共和制――民主主義社会の文学
第246回 2009年10月28日 中山 徹 エスのあったところに緑をあらしめよ――ジョン・ハーグレイヴ論
第245回 2009年7月15日 中井 亜佐子 「ヴェール」の自伝――近代、フェミニズム、多文化主義
第244回 2009年6月17日 河野 真太郎 未来派から遠く離れて―ウルフ・未来派航空劇・マニフェスト芸術
第243回 2009年5月27日 Degen,Deniau
(小関)坂内、笹倉
初修外国語の短期語学研修について
第242回 2009年4月15日 合評 『ジェンダーから世界を読むU--表象されるアイデンティティ』合評会
46巻 第241回 2009年2月4日 土岐 健治 一橋大学で私の歩んできた道と、研究活動
第240回 2008年12月17日 古沢 ゆう子 アリストテレス『詩学』カタルシス再考
第239回 2008年10月29日 中島・小関  CALL活用のためのマルチメディア教材開発
第238回 2008年7月16日 洪 郁如 植民地台湾におけるファッションの政治学
第237回 2008年6月25日 川本 玲子 生きることと語ること-自閉症の視点から見た自己と世界
第236回 2007年12月11日 三浦玲一  モダニズムとアイデンティティ
45巻 第235回 2007年6月11日 Ralph Degen どのように日本人学生に自立学習に役立つ考え方(メタ認知能力)を促進することができるのか
第234回 2007年2月21日 櫻井雅人 「蛍の光」の成立と変奏
第233回 2007年1月24日 吉川良和 20世紀初頭における中国の女性と北京の演劇界
第232回 2006年12月20日 横張 誠 ユートピアから地獄の平等へ
第231回 2006年10月28日 藤野 寛 『「フロイトを翻訳」雑感』
第230回 2006年7月26日 井川ちとせ 英国選挙法改正と男性性
44巻 第229回 2006年5月24日 早坂 静 トニ・モリソンの『ジャズ』の語りのアフリカ系アメリカ性と地理表彰について
第228回 2006年3月15日 山田 直道 材源研究と本文批評−シェイクスピアの『リチャード三世』を巡って
第227回 2006年3月15日 R.Habermeier 私たちの愚かさについて
第226回 2006年2月22日 恒川 邦夫 カリブ海とインド洋のフレンチ・クレオールについてーマルチニク、ハイチ、モーリシャス、レユニオンの事例に即して
第225回 2005年10月19日 岩月 純一 20世紀初頭にハノイで発行された新聞についての予備的考察
第224回 2005年7月20日 吉野 由利 マライア・エッジワース「倦怠」(1809)の処方箋ー専門教育と理想のパトリオット創出
43巻 第223回 2005年5月25日 南 裕子 現代中国における農村自治の存立構造
第222回 2005年3月16日 新井 晧士 計量言語学の可能性について
第221回 2005年2月16日 松岡 弘 日本語・教育・コメニウス
第220回 2004年12月15日 横張 誠 フランス中世の計画都市 バスティードについて
第219回 2004年10月20日 新田 啓子 多文化主義を超えて ―ハーレム・ルネサンスと人種表現
42巻 第218回 2004年5月26日 井上 義夫 村上春樹の想像力 ―因果はめぐる風車
第217回 2004年2月19日 滝沢 正彦 英語を読む
第216回 2003年12月17日 松永 正義 世界華文文学について
41巻 第215回 2003年11月26日 尾方 一郎 ミュンヘンとドイツ ―イメージと文化
第214回 2003年2月19日 中井 亜佐子 ハイブリッド文化をめぐって―『悪魔の詩』再考―
第213回 2002年12月18日 中上 玲子 現実と虚構のはざま ー ミュリエル・スパークの小説を読む
40巻 第212回 2002年11月27日 鵜飼 哲 戦争と演劇 −アイスキュロス、シェイクスピア、ジュネ
第211回 2002年2月20日 磯池 明雄 知覚の言語 ― みる・きく・しる ― について
第210回 2002年1月23日 喜多崎 親 断片としてのオリエント ― ギュスターヴ・モローの《聖なる象》をめぐって
第209回 2001年11月21日 三浦 玲一 ドナルド・パーセルミをどう読むか?―或いは、私は何故ポストモダニズムを研究することになりしか?
第208回 2001年10月24日 岩月 純一 ベトナムにおける近代的漢文教育についての一考察
第207回 2001年7月4日 安田 敏朗 「国語国字問題」としての「英語第二公用語論」
39巻 第206回 2001年5月30日 越智 博美 農本主義と新批評の接続―アメリカ南部文学というジャンル
第205回 2001年2月21日 田辺 秀樹 ウィーンのミュージカル『エリーザベト』をめぐって
第204回 2000年10月25日 田尻 芳樹 モダニズムと共感覚(synaesthesia)―ベケットを中心に
第203回 2000年6月28日 武村 知子 伊勢物語をめぐる書妖談義―レジュメに替えて
38巻 第202回 2000年5月31日 松岡 弘 言語教育の源流への旅―コメニウスを訪ねて
第201回 2000年2月23日 河村 錠一郎 ある愛の物語―図像学という絵解き
第200回 1999年12月15日 横張 誠 ボードレールにおけるspleen(憂愁)の空間型モデルによる理解の試み
第199回 1999年10月27日 松永 正義 台湾語は「国語」になれるか
第198回 1999年6月30日 石黒 圭 接続詞「そして」について
37巻 第197回 1999年5月26日 小関 武史 18世紀フランス『百科全書』に描かれた中国と日本
第196回 1999年2月24日 諏訪 功 ”Ostalgie"などについて
第195回 1998年12月16日 前田 眞理子 外交のアウトサイダーとして―アメリカ合衆国における女性外交評論家の歩み
第194回 1998年11月25日 笹倉 一広 一橋大学中国語学研修旅行の現状と課題
第193回 1998年7月8日 庵  功雄 テキストにおける指示詞の機能と「は」と「が」の選択との相関
36巻 第192回 1998年5月6日 吉川 良和 中国先秦時代のコト類について―孔子は琴を弾いていなかった
第191回 1998年2月19日 菊田 正信 『馬氏文通』から100年
第190回 1997年12月17日 杉田 くに子 読みのプロセスと意味のまとまりの変化
第189回 1997年10月29日 J.F.Mancuso The Internet in the Language and Literatue Classroom:A Basic Introdustion to a Powerful Education Tool
第188回 1997年7月16日 山田 直道 『ハムレット』―クォート版、フォリオ版とテキスト編纂
35巻 第187回 1997年5月28日 西谷 まり 小学校における外国人子女の教室適応と日本語習得
第186回 1997年2月14日 平野 信行 アルコールとアメリカ文学
第185回 1996年12月4日 橋沼 克美 イギリス、アイルランド、スウィフト
第184回 1996年7月17日 笹倉 一広 外国語のカリキュラム改革―静岡大学の事例
第183回 1996年6月19日 菅野 賢治 ドレフュス事件とフランス世論―百年の余韻
34巻 第182回 1996年5月22日 P.Deniau 日本文学の翻訳者ノート―フランス人の視点から
第181回 1995年11月22日 今村 和宏 日本語の語感を外国人に伝える試みについて
第180回 1995年10月25日 三瓶 裕文 体験話法について
第179回 1995年7月19日 中島 由美 マケドニア語における言語構造の変化
第178回 1995年6月21日 竹内 康浩 『ライ麦畑でつかまえて』分析
33巻 第177回 1995年5月24日 清水 朗 ドイツ語の歴史と「格」
第176回 1995年3月10日 中村 喜和 歌、歌、歌
第175回 1995年2月15日 宮野 悦義 「ハルツの旅」の夢
第174回 1994年12月7日 金井 嘉彦 未来のcolonialism
第173回 1994年7月6日 柏崎 順子 江戸時代の出版
32巻 第172回 1994年6月1日 友澤 宏隆 分詞構文の諸相
第171回 1994年2月16日 田尻 芳樹 初期ベケットとジョイス
第170回 1994年1月26日 梅谷 文夫 真似の効用
第169回 1993年12月15日 折敷瀬 興 中国語の”表記”−漢字について
第168回 1993年11月24日 前田 良三 パウル・ツェランとテクストの非対称性
第167回 1993年10月20日 尾方 一郎 トーマス・マンと自然概念
第166回 1993年7月28日 越智 博美 ハワード・オーダムとその周辺
第165回 1993年6月23日 小倉 敏博 英語の連語と辞書
31巻 第164回 1993/5/121 増田 眞 ルソーとディドロにおける芸術と政治―18世紀フランス言語論への視座
第163回 1993年2月17日 久保 哲司 「自然史」とベンヤミン
第162回 1993年1月27日 Renee Lagache 文法の教育
第161回 1992年12月2日 榎本 武文 小説と読書行為―フィールディングからディケンズへ
第160回 1992年11月4日 坂井 洋史 紙銭のはなし
第159回 1992年10月7日 町田 みどり ヘンリー・ジェイムズとアメリカンガール
第158回 1992年7月22日 藤巻 明 コールリッジの家をめぐって―ネザー・ストウィーを中心に
30巻 第157回 1992年6月24日 桜井 雅人 黒人霊歌起源論争
第156回 1992年2月19日 出口 裕弘 東京文化私観
第155回 1992年1月29日 森川 俊夫 Erkenntnisekel(認識の嘔吐)
第154回 1991年12月18日 山田 泰司 一橋以前―昔の人・昔の本
第153回 1991年10月16日 井上 修一 シュニッツラー文学における小間使いについて
第152回 1991年7月3日 中野 知律 生成研究のめざすもの
29巻 第151回 1991年5月22日 新井 皓士 山城の春
第150回 1991年2月20日 青木 順三 二人のノーベル賞作家―トーマス・マンとハインリヒ・ベル
第149回 1991年1月23日 R.Habermeier Nationalismus und deutsche Wiedervereinigung
第148回 1990年12月19日 P.E.Davenport British Family Names-Their Origin and Character
第147回 1990年10月24日 橋沼 克美 スウィフトと医学
第146回 1990年7月4日 三枝 令子 語の持つ意味と文の持つ意味―「だけに」の分析
28巻 第145回 1990年5月30日 野崎 歓 フランス・ロマン派と東方の旅
第144回 1990年1月30日 斎藤 忠利 アメリカ黒人とキリスト教
第143回 1989年11月29日 横張 誠 マルセル・デュシャンの極薄をめぐって
第142回 1989年10月25日 寺澤 盾 チョーサー『騎士の物語』―性格描写の手段としての口語体
第141回 1989年7月19日 古沢 ゆう子 岩姫の恋と朝霞―寄物陳思とギリシャ詩観
第140回 1989年6月21日 鵜飼 哲 メニッペー アルジャンルの可能性(ジャン・ジュネに即して)
27巻 第139回 1989年5月24日 菊田 正信 文型の話―中国語の場合
第138回 1989年2月22日 李行健・折敷瀬興 中国の文字改革
第137回 1989年1月25日 佐野 泰雄 カミザール戦争
第136回 1988年12月7日 坂井 洋史 近代中国におけるアナキズム思想
第135回 1988年11月16日 三瓶 裕文 心的空間と言語現象
第134回 1988年6月29日 河村 錠一郎 Bridges
26巻 第133回 1988年5月25日 塚田 富治 政治はいつの頃からいかがわしい行ないと見られるようになったのか―policyという言葉の分析
第132回 1988年1月27日 松本 昭 中国語形態素とその文字表記―河野博士の所説を手がかりに
第131回 1987年12月16日 加藤 二郎 ローベルト・ムシルについて
第130回 1987年11月18日 高沢 治 ポー短篇小説―増殖する自意識の物語
第129回 1987年10月21日 金井 嘉彦 『ユリシーズ』における死と再生のカーニヴァル
第128回 1987年6月24日 井上 修一 マリー・アントワネットの伝記について
25巻 第127回 1987年5月20日 飯嶋 一泰 借用語彙の研究について―ドイツ語史を中心に
第126回 1986年12月17日 松岡 弘 日本語教育の現在―「のだ」「わけだ」の説明をめぐって
第125回 1986年11月19日 内田 正子 ディケンズ「荒涼館」読解の試み―非嫡出子の役割について
第124回 1986年10月22日 山田 直道 シェイクスピアと『復讐者の悲劇』
24巻 第123回 1986年5月21日 松永 正義 台湾文学のおもしろさ
第122回 1986年4月23日 パネラー:中村・滝沢・古沢 ハムレット―レクチュールの可能性を探る
第121回 1985年12月18日 諏訪 功 ウィーンのことなど
第120回 1985年10月30日 井上 義夫 ロレンスと二人の貴族並びに英国の階級差について
第119回 1985年7月17日 佐々木 滋子 マラルメ・英語・詩の言語
23巻 第118回 1985年5月22日 シンポジウム 前期教育について―制度の改革は可能か
第117回 1985年1月30日 山田 泰司 「標準英語」と女性
第116回 1984年12月5日 シンポジウム 大学における語学教育について
第115回 1984年10月3日 平野 信行 アメリカ南部英語について
22巻 第114回 1984年5月30日 古沢 ゆう子 古代近代における悲劇的なるもの
講 演 1984年2月24日 菊池 亘 キーツからリルケまで
第113回 1983年12月21日 青木 順三 1984年を前に―ハインリヒ・ベルの近作から
第112回 1983年11月16日 小倉 敏博 ‘tough‘構文のむずかしさ
第111回 1983年7月6日 坂内 徳明 手と足の民俗学―私のロシア修業
第110回 1983年6月1日 滝沢 正彦 Sheffield方言について
21巻 第109回 1983年4月27日 佐野 泰雄 17・8世紀における「寛容」概念の変遷について
第108回 1983年3月2日 折敷瀬 興 「日中辞典」について
第107回 1982年12月1日 梅谷 文夫 狩谷?斎について
20巻 第106回 1982年10月27日 村山 淳彦 アメリカ研究管見
第105回 1982年6月23日 松本 昭 漢字をめぐる諸問題
第104回 1982年5月26日 重藤 実 語順と文の構成要素
講 演 1982年2月17日 山川 喜久男 英語の語順―統語方史上の一課題として
19巻 第103回 1982年1月27日 磯地 明雄 GENIUS LOCI
第102回 1981年12月16日 秋谷 治 中世の一老女の呟き―常盤の姥の紹介
第101回 1981年11月18日 井上 義夫 ロンドン、1915年9月―D.H.ローレンスと大一次世界大戦
第100回 1981年10月7日 鈴木 道彦 フランスの反ユダヤ主義
第99回 1981年6月3日 森川 俊夫 「人間性」について(その比較文化論的考察)
第98回 1981年5月6日 塚田 富治 モアとベーコンの間―「劇場論的世界像」は可能か
18巻 第97回 1981年1月28日 田辺 秀樹 寄席芸人としてのヴェーデキント
第96回 1980年12月17日 高橋 安光 エロカンスの復活
第95回 1980年11月26日 土岐 健治 ”古典語”のテンスについて
第94回 1980年10月1日 宮下 忠二 キーツの「ギリシアの壷についてのオード」をめぐって
17巻 第93回 1980年6月18日 新井 皓士 (ドイツ)水車製紙事始
第92回 1979年12月19日 溝口 雄三 公とおおやけについて
第91回 1979年11月21日 広田 昌義 想像力・歴史・表徴―パスカル「パンセ」について
第90回 1979年10月31日 坂内 徳明 ロシア民話における”笑わぬ王女”
第89回 1979年6月20日 木山 英雄 去年の紹興など
第88回 1979年6月6日 B.I.Nelson 現代の韓国文学について
16巻 第87回 1979年1月31日 宮野 悦義 ワイマールのFerienkurs
第86回 1978年11月15日 新井 皓士 SatyraとSatire-Grimmelshausen,Weise,Beerのロマンについて
第85回 1978年10月18日 越沢 浩 Wittgensteinと言語
第84回 1978年6月21日 福居 純 詭弁
第83回 1978年5月31日 山本 和平 もうひとりのロビンソン・クルーソー
15巻 第82回 1978年2月24日 田中 克彦 言語学のイデオロギー
第81回 1977年12月7日 村山 淳彦 Dreiser と Greenwich Village
第80回 1977年10月19日 増谷 外世嗣 Charles Dickens:Hard Times 論
第79回 1977年9月21日 田辺 秀樹 ドイツの文学キャバレーについて
第78回 1977年6月15日 桜井 雅人 アメリカの民謡について
第77回 1977年4月27日 諏訪 功 ドイツ文献学1966-1976
第76回 1977年2月23日 恒川 邦夫 フランス語表現黒人文学について
14巻 第75回 1977年1月26日 R.J.Crow Teaching English in Japan
第74回 1976年11月24日 山田 泰司 イギリスの初等教育について
第73回 1976年10月6日 折敷瀬 興 中国の「簡化字」について
第72回 1976年7月7日 桜井 雅人 英語の受動文について
第71回 1976年6月2日 出口 裕弘 ラスコーの壁画について
13巻 第70回 1976年2月17日 山田 直道 オセローについて
第69回 1975年12月24日 滝沢 正彦 フレンドシップについて
第68回 1975年10月29日 広田 昌義 マーキュリーの話
12巻 第67回 1975年6月4日 井上 修一 ドイツの大学
第66回 1974年12月4日 高橋 安光 ウートポスやエリフォンをめぐって
第65回 1974年11月6日 山本 和平 ゴールドスミスの田園について
第64回 1974年10月2日 久保内 端郎 新古英語辞典について
第63回 1974年7月3日 斎藤 忠利 シンクレア・ルイスにおけるProvincialismをめぐって
第62回 1974年2月4日 増谷 外世嗣 W・ブレイクの神話と絵画
11巻 第61回 1973年12月17日 海老坂 武 イワン・イリッチの思想
第60回 1973年10月1日 中村 喜和 ロシア口承叙事詩のはなし
第59回 1973年7月2日 森川 俊夫 イエルサレムからローマへ―カトリック教会成立をめぐって
第58回 1973年6月4日 金子 幸彦 18世紀文学の潮流
第57回 1973年3月4日 井上 修一 アインシュタインの書簡
10巻 第56回 1973年2月5日 猪口 弘之 宮沢賢治の短歌について
第55回 1972年11月20日 新井 皓士 閑人倶楽部「月刊評論」創刊号解題
第54回 1972年10月2日 磯地 明雄 ”詩”について
第53回 1972年6月19日 山川 喜久男 史的言語学の動向
第52回 1972年2月7日 平野 信行 Yiddish Humor について
9巻 第51回 1971年12月20日 島田 太郎 メルヴィルの草稿について
第50回 1971年10月4日 中村 喜和 モスクワ雑話
第49回 1971年9月6日 宮下 忠二 最近のイギリス―人種問題その他
第48回 1971年7月5日 広田 昌義 パスカルのパンセ―ポール・ロワイヤル版について
第47回 1971年6月7日 諏訪 功 ドイツの“政治的”シャンソンについて
8巻 第46回 1971年3月24日 久保内 端郎 言語の起源について
第45回 1971年2月1日 木山 英雄
7巻 第44回 1970年12月7日 富原 芳彰 宮廷風恋愛
第43回 1969年5月17日 鈴木 道彦 フランス雑感
第42回 1969年2月3日 加藤 二郎 R.ムシル―留保の態度
6巻 第41回 1969年1月11日 増谷 外世嗣 オーデンの眼
第40回 1968年11月25日 平野 信行 馬・山羊・コンピューター―ジョン・バースの特異性について―
第39回 1968年11月4日 福居 純 パスカルにおける正義
第38回 1968年6月24日 永井 みち子 Language Laboratoryについて
第37回 1968年5月27日 宮野 悦義 Heineとフランスの友人
5巻 第36回 1967年11月27日 三城 満禧 生成文法の最近の発展について
第35回 1967年10月30日 海老坂 武 メルロー・ポンチの言語観をめぐって
第34回 1967年9月25日 梅谷 文夫
第33回 1967年6月26日 平野 信行 フォークナーにおける「共同体」意識―「サートリス」を中心に
第32回 1967年5月29日 橋本 郁雄 ドイツ方言研究の現状
第31回 1967年1月30日 岩田 一男 中島敦鷄肋
第30回 1966年12月19日 シンポジウム 「ローマン主義」について
4巻 第29回 1966年11月28日 宮下 忠二 キーツのイメージの特質
第28回 1966年9月26日 河村 錠一郎 「バロック」について
第27回 1966年6月27日 出口 裕弘 E.M.シオラン「歴史とユートピア」について
第26回 1966年5月30日 亀井 孝 PVLCRA VT LVNA
第25回 1966年1月31日 山本 和平 レイモンド・ウイリアムズ「ロング・レヴォリューション」について
第24回 1965年12月20日 鈴木 道彦 サルトルに於けるアンガージュマン文学の形成
3巻 第23回 1965年11月29日 青木 順三 トーマス・マンと両次大戦
第22回 1965年10月25日 高橋 安光 シヴィリザシオン原義考
第21回 1965年10月4日 柏瀬 清一郎 バーミヤン石窟寺―ヒンズークシ探検
第20回 1965年9月27日 富原 芳彰 カタルシスについて
第19回 1965年6月28日 長谷川 欣佑 文法の概念
第18回 1965年5月31日 鈴木 秀勇 フス及びコメンスキー研究の問題点
第17回 1965年5月1日 杉浦 博 リルケ「マルテ」から「悲歌」へ
第16回 1964年11月30日 斎藤 忠利 アメリカ黒人の文学
2巻 第15回 1964年9月28日 山田 欣吾 ヨーロッパ概念の変遷について
第14回 1964年6月22日 山田 泰司 ミルの詩論
第13回 1964年4月27日 植田 敏郎 ヘルダーの国家観
第12回 1964年2月28日 渡辺 金一 中世キリスト教世界とビザンツ
第11回 1964年1月27日 シンポジウム 語学教育のあり方について
第10回 1963年12月17日 森川 俊夫 ドイツ人の物の考え方
第 9回 1963年11月15日 菊池 亘 「ギリシャの壷によせるオード」の末尾2行について
第 8回 1963年10月21日 増谷 外世嗣 アメリカ社会と文学の一断層
第 7回 1963年9月26日 山田 和男 The Catcher in the Rye の言語について
第 6回 1963年6月24日 山川 喜久男 英語における動名詞の発達について
第 5回 1963年5月27日 大畑 末吉 ファストは悲劇か喜劇か
第 4回 1963年4月29日 金子 幸彦 レールモントフの「現代の英雄」について
第 3回 1963年2月25日 橋本 郁雄 第2次大戦後ドイツにおける国語問題
第 2回 1963年1月28日 海老池 俊治 花柳春話その他
1巻 第 1回 1962年11月26日 根岸 国孝 マノン・レスコー

           月例研究会