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英語で豊かに育つために

 英語の読み書きができたり、聞き取れたり話せたりすることで、私たちは何を得、何を失うのだろうか。 最近のNHKテレビの英語番組を見れば、「英語を喋る」とは即ち 軽薄な人間に自己改造することと同義なのだと思い込んでしまうかもしれないが、 無論英語学習の得失はそんなところにはない。 一つの言語はその言語を母語とした人間の歴史と文化の総体を背負っている。 英語を「まなぶ」ことは、英語によって英語とともに育った人間と文化に「染まる」ことであり、 ある場合には「木乃伊(ミイラ)」になることである。 ところが幸か不幸か、英語が解らなければそういう事態は生じない。 せいぜいのところ、子供に英語を喋らせることが高級で国際的なことなのだと思い込むぐらいで、 それは英語の与(あずか)り知らぬことである。 現在の日本の文化水準の現われであって、 低級な社会は別に英語がなくてもその社会にふさわしい自己表現の手段を見つけ出すものである。

 したがって、英語を学習するとは両刃の剣で剣術の稽古をするようなものだが、まずはこの剣を手に持ってみるしかない

 そうして手始めに、この刀がどんな刀であるかを見るには、 BBC Video Library のビデオ The Story of English の第2巻The Mother Tongueを観るに若(し)くはない。 (このビデオは東2号館3階の学習図書室で観られる)。 ドイツ語と同じ根をもつアングロ・サクソンの英語が、 ラテン系のフランス語と交じり合って変化した数奇な英語の運命ばかりでなく、 異民族の侵入に曝され続けたブリテン島の歴史が掌(たなごころ)を指すように眺められる。 (字幕は出ないが、そのかわりテキストが具わっている)。 ビデオは嫌いという殊勝な人には、手頃な図書として、ヘンリ・ブラッドリ(Henry Bradley)『英語発達小史』(The Making of English)(岩波文庫)。

 次に、実際に英語を話している人間がどんな風であるか、その一端を垣間見るために、 これも映像と音声を媒介にした放送を勧める。インターネットで10 Downing Street(首相官邸のこと)を検索し、 ホームページの上段の4列目 Broadcastの最初 PM’s Question Time(国会での首相答弁)をクリックすれば、 実に2000年以降の下院での首相への質問と答弁が映像入りで聞けるばかりか、 その Transcript も準備されている。 イギリスの国民がどういう種類の人間であるかが、国会風景とこの宣伝方法からも窺える。 民主主義というものは、なるほどこういうお喋り好きの国民の背丈に合った制度なのかと合点するであろう。 さらにBBC World Service や BBC Radio のサイトに入れば、 ラジオドラマやニュースなど多岐に亘る番組が無料で視聴できる。 BBCの視聴料はテレビを買った瞬間に強制的に支払い義務の生じる代物だから、 私は民放しか見ないので払わないというわけには行かない。 したがってイギリス国民の払った視聴料が、世界に恩恵を与えている(あるいは英語の色に染めている)ことになるわけで、 ここにもイギリス人の特質が感得される。 (因みにイギリスでは民放にも政府の補助金が出ているから、アメリカや日本の民放とは同じではない)。

 ヴァレリーは「ヨーロッパ」を構成する要素は3つあると書いた。 キリスト教とギリシャ・ローマの古典文化、ローマの市民法の3つであり、 これらによって育まれなかった国あるいは地域はヨーロッパではないという。 この顰にならえば、ロシアや東欧は無論ヨーロッパではなく、スペインも然り、ギリシャもまたそう、 ウィーンを擁するオーストリアさえ怪しくなる。 いずれも何よりも3つめの要素を欠くためであり、一体どこに正真正銘のヨーロッパがあるのかと尋ねたくなるかもしれないが、 イギリスがフランスとともに「ヨーロッパ」を体現していることは確かなことである。 その意味で、ローマ法はともかく、キリスト教とギリシャ・ローマの古典文化は一瞥しておきたい。

 『聖書』が筆頭にくるのは当然ながら、その理由は、こんなに不思議で興味深い本はないという点にもある。 ホメロスの『オデュッセイア』が後者の構成要素のお奨めで、これも実に面白い上に、 サイレン、ナウシカなど、どこかで聞いたような名が多出する。 ソフォクレスの『オイディプス王』は、恐らく人類が書いた戯曲の最高傑作だから、死ぬまでに一度は読んでおきたい。

 イギリスの歴史と社会を外からではなく内から感得するには、これも文学作品に勝るものはない。 古いところから挙げれば、シェイクスピアの『リア王』とスイフトの『ガリヴァー旅行記』。 これほど身の毛のよだつ怖ろしい作品は類例を見ない。 さらにはジェイン・オースティン(Jane Austen)『高慢と偏見』(Pride and Prejudice) (図書館一階にDVDの映画があり、これも奨められる)。 20世紀になってからはE.M.フォースター(E.M.Forster)の『ハワーズエンド』(Howards End)。 私が今までに読んだなかで一番面白かった小説は ロレンス・ダレル(Lawrence Durrell)の『アレクサンドリア四重奏』(The Alexandria Quartet) (4部作である上に独特の仕掛けが施されているので必ず『ジュスティーヌ』(Justine)『バルタザール』(Balthazar) 『マウントオリーヴ』(Mountolive)『クレア』(Clea)の順で読む)。

 小野寺健『イギリス的人生』(ちくま文庫)は、 日本人が洞察したイギリスとイギリス文学に関する書としては出色であり、啓発されるところが多い。

 アメリカは、マスメディアで頻繁に取り上げられるし、日本で英語と言えば結局のところアメリカ英語のことであるから、 私達には馴染みが深い。突き詰めて言えば、 大半の日本人の意識下には日本がアメリカの植民地になっていればよかったと思う気持ちが潜在している筈で、 現在の初等英語教育の課題らしきものやテレビの英語番組の内容は、 植民地になっていれば自然に「達成」されていたようなものである。 その当のアメリカがどんな国でアメリカ英語がどんな言語であるかについて、 最初に挙げたBBC Video Library のビデオ The Story of English の第5巻 Pioneers! O Pioneers! (日本語では「開拓者のアメリカ」)をまずご覧になるといい。 カナダの英語がイギリスの植民地時代の英語から枝分かれして生まれてくる様子もこのビデオを観れば理解できる。

 アメリカの表層ではなく、その内面の構造を窺うには、 D.H.ロレンス(D.H.Lawrence)『アメリカ古典文学研究』(Studies in American Classic Literature) 。 さしあたり推奨できる小説として、ウィリアム・フォークナー(William Faulkner) の『八月の光』(Light in August)。 現代作家の作品では、トルーマン・カポーティ(Truman Capote)の短編小説 「夜の樹」("A Tree of Night")「夢を売る女」("Master Misery")「最後のドアを閉めて」("Shut a Final Door")等と、 レイモンド・カーヴァー(Raymond Carver) の Short Cuts (同名の映画あり)に収録された "Collectors" "Will You Be Quiet, Please?" "Put Yourself in My Shoes"など。 アメリカの得体の知れない恐怖と不安を、これらの短編小説は見事にかたちにしている。 現存する作家では、トニー・モリソン(Toni Morrison) Jazz, ポール・オースター(Paul Auster) のMoon Palace

 日本人の著書としては、村上春樹のアメリカ滞在記『やがてかなしき外国語』が優れている。

 終わりに、オーストラリア等、世界中に広がった英語の歴史とその実態については、 これもBBC Video Library のビデオ The Story of English の第7巻 (日本語では「大英帝国の遺産」)が薦められる。 このビデオの英語を聞けば、通念として抱いている英語が、ほんの氷山の一角を占める言葉でしかないことが実感できるであろう。 (井上義夫)

                                         






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